はじめに 「花咲か爺さん」のポチ
犬を飼ってみないと犬の素晴らしさは分からない。それと同じに蒔かない種はいくら待っても芽をだしません。しかし、「涙と汗で蒔く種は、やがて喜びの収穫の時を迎えることが出来る」。この聖書の言葉を信じて、「花咲か爺さん」の民話に一歩でも近づけるように、とにかく書きはじめよう。「涙と汗」の言葉の意味は、私の場合、今は、天国へ旅立ってしまった、何頭もの犬たちと、もう一度、正面から向き合うことによる、喜び、悲しみ、悔恨、反省、懐かしさ、新たな発見や感動などに起因するものとなるでしょう…。
私は東京町田にある神学校を卒業すると同時に、北アルプスの麓、安曇野にある教会の牧師として、また、この本のおもな舞台となる幼稚園の園長として着任した。まだ五歳だった長男と、二歳と一歳になった長女と次女、そして妻の私たち家族五人を乗せた車は、県境の高く長い峠を越えて、四月に入ったというのに、湿った雪の激しく舞う、安曇野の地に入った。
そして上高地から日本海へ流れ下る犀川沿いの道路を、私の運転する車も、流れに沿って北へ向かった。やがて車窓の左に、私たちは風雪にかすむ安曇野の景色を目にしたのだっだ。
そして、この安曇野の地で、三女が、次男が誕生し、私たち家族は七人家族となり。風雪の中、安曇野に到着したあの日から三十年の歳月が流れた。この地で出合った多くの人々、そして多くの幼子たち、そして、犬たちとの日々…。いつしか、私は夕暮れには、必ず犬たちと散歩をするようになっていた。
そして、私にとって、犬は、私の生活になくてはならない存在となっていた。特に何かがあったり、考えがあって、こうなったのではなかった。あえて、その理由を問われるなら、「出会いがあったからです」と、答えるしかない。
こうした、私にとって家族同然に大切な存在となった犬たちの持つ、様々な素晴らしさ、いのちの輝きなどを、いつしか、書きとめておきたいと思うようになっていた。安曇野の地ではじめて出合った、とても個性の強かったハスキー犬のジョンが、十二歳で、この世を去った。その別れの悲しみを味わった頃から、犬たちとの思い出を、また、私と出合ってくれたことへの感謝の思いを、どうしても書きとめて、おきたいと強く思うようになった。
そこで、私が少年の日に、また二十代の後半に大阪の児童福祉施設で、さらに現在の安曇野の地で出合った犬たちとの生活の日々の思い出を、年月などの順番には、こだわらず、思い浮かぶシーンを核にして、テーマを決めて、犬たちのように素直に正直に、書き記して行こうと心を決めたのです。
犬が人間のパートナーとして共に生きて来た歴史は古い。エジプトのピラミッドの中で、そうした証拠も発見されている。この日本においても、民話の「花咲か爺さん」は有名である。
この民話のあらすじは、「心安らかで堅実に暮らす心優しい老夫婦が、一匹の白い仔犬を拾いわが子同然にかわいがって育てる。ある日、犬は畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」と鳴き始める。驚いた老人が鍬で畑を掘ると大判・小判の金貨がザクザクと出てきた。老夫婦は喜んで近所にも振る舞い物をした。
それをねたんだ隣人夫婦は無理やり犬を連れ去り、財宝を探させようと虐待した上、期待はずれのガラクタが出てくると逆上し、犬を殴り殺し飼い主夫婦にも悪態をついた。
わが子同然の犬を失って悲嘆にくれる夫婦は、犬の死体を返してもらい庭に墓を作って雨風から犬の墓を守るため木を植えた。その木が大きくなったころ、夢に犬が現れて臼を作るように助言する、夫婦が臼を作ると餅をつくたびに財宝があふれ出た。
再び隣人夫婦は難癖をつけて臼を借り受けるが、出てくるのは汚物ばかりだった為、怒って臼を叩き割り燃やしてしまう。
夫婦は灰を返してもらって大事に供養しようとするが、再び犬が夢に出てきて桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼み、その言葉に従ったところ花が満開になりたまたま通りがかった大名の殿様が感動して老人をほめて褒美を与えた。やはり隣人夫婦がまねをするが、花が咲くどころか大名の目に灰が入り、悪辣な隣人は無礼をとがめられて罰を受ける」。
この「花咲か爺さん」の民話は歌にもなった。1901年(明治34年)に幼年唱歌として出版されている。その歌詞では、犬の名前は「ポチ」となっている。この民話から、いろいろなことを教えられる。また様々な解釈もあろう。私は、この民話を次のように受けとめている。
それは、一言でいえば、「犬には素晴らしい宝が隠されている」ということである。一匹の子犬を拾い我が子同然にかわいがって育てる中で、そこに今まで気づかなかった、隠されていた宝を発見する。犬は死んでもさらに、多くの希望を、生きる勇気を人間に与えてくれる。そうした尽きることのない素晴らしい宝を犬たちは隠し持っているのです。
犬を飼ってみないと犬の素晴らしさは分からない。それと同じに蒔かない種はいくら待っても芽をだしません。しかし、「涙と汗で蒔く種は、やがて喜びの収穫の時を迎えることが出来る」。この聖書の言葉を信じて、「花咲か爺さん」の民話に一歩でも近づけるように、とにかく書きはじめよう。「涙と汗」の言葉の意味は、私の場合、今は、天国へ旅立ってしまった、何頭もの犬たちと、もう一度、正面から向き合うことによる、喜び、悲しみ、悔恨、反省、懐かしさ、新たな発見や感動などに起因するものとなるでしょう…。
後半の章で必ず触れようと思いますが、私は人間が天国への招待を受るなら、犬たちこそ、人間に先駆けて招待を受けることになると信じています。その天国で、ハスキー犬のジョンをはじめとする多くの犬たちが、きっと、この私の執筆を応援してくれることも信じて…。さあ、犬はERAI!の物語を始めよう。
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クロスは四歳のまだ寒い冬の終わり、二月の冷え込む夜に、初めてのお産をした。これは、私が犬のお産を見る、初めてのことであった。クロスは、牧師館のリビングルームから事務室へ入るドアのすぐ横にある狭い部屋で、当時は物置として新聞紙や本などの不用品を積んでいた小部屋の一番奥のところで八頭の元気な子犬を産んだ。
クロスの時も、そして、このクロスの子のリーが後にお産した時も、私が感じたのは、心を向ける対象、愛情を注ぎ込む我が子を得たときの母犬たちの雰囲気には、一種独特なものを感じた。これは、私の妻の五回のお産の時に、私が病室を訪ねた時に感じたものと共通する、不思議というより、ゆったりとした、神秘的な雰囲気だった。
まさに「犬のいる幼稚園」と呼ばれるに相応しい犬の全盛期でした。まず、私の四頭の犬たちがいた。ジョンとクロス。そして、クロスの子、リーと、リーの子マークだった。そして、幼稚園教諭のF先生のところへ、もらわれて行った、クロスの子アージュが、毎朝F先生と一緒に「おはよー!」と一日も休まず、通勤していた。私は、このアージュを「通勤犬」と呼んでいました。
伊那高原の私の自宅から西山の奥へ、途中の急なカーブのある山道を車で二十分ほど入った所に、経ヶ岳への登山入り口がある。そのすぐ北側の谷間に小学校のグランドほどの広さのダム湖がある。真夏の暑い日には、地元の人々が避暑に訪れ、谷間を下る清流を湛えたダム湖の岸辺で涼をとる。この山奥のダム湖を知っている地元の人々に限られると思うが、夏の休日やお盆前後には、けっこうな数になる。
ジョンは湖面の北斜面のかなり高い位置で、根元から数本伸びた太い潅木の間に胴体を挟まれて、前にも後ろにも動けず、もがいていた。自然の罠にかかった狼の姿だった。その潅木の周りだけ残雪が深かった。近づく私を見て、ジョンははずかしそうに、耳を前に倒して、「ウヲヲヲヲヲヲー」と低い声で全身の力をぬいて、反省と降参の意を私に表した。
たぶん、マークとリーがいなかったなら、確実に私はダム湖の水深三メートルほどのところで心臓麻痺で命を落としていたと思う。ラブラドール犬の中でも、特に優れた泳力を持つ、この二頭の犬が私の危機を救ったのだ。命を救ったのだ。そうでなければ、私は確実に死んでいた。安曇野の豊科プールで、一周七十メートルのところを二周も泳いで、バイトの兄ちゃんたちを驚かせたマークとリーの二頭だった。
その線香は半分ほどが燃えて消えていた。誰かがこのダム湖で命を落とし、その家族が、このお彼岸の時期に、ここを訪れたのだろうか…。小雨の中、その近くだけまだ、薄い線香の香が漂っているような気がした。リーが近くによって鼻をクンクンさせていた。私は小さく胸の前で十字を切っていた。複雑な気持ちで、目を岸の後ろにそらすと、その花束から少し離れた砂地に焚き火の跡があり、焼肉などをした痕跡もあった。
今まで、私はマークの死について多くを語らず心に秘めてきた。泳ぎがすきだったマークが、大好きだった夏を、その三回目の夏を迎えることなく、まだ風の冷たい安曇野の早春にマークは、この世を去った。私は、私の運転する車の前輪車軸の下にマークを巻き込んだのだ。あの四十六キロのマークの体の上を、私の車が「ゴトン」という振動を響かせマークを乗り越えていた。
そして、安曇野に春近しを告げる湿った大雪が降った。私が大泣きをする姿を驚きを持って見まもり、そして共に涙をながした園児たちに新しい春がやって来るのだ。私は悲しみを乗り越えて、卒園して行く園児たちに目を向けなければならなかった。「おまえたちは、川に流された時も、マークの葬式も、いっしょだった。卒園しても、必ず遊びに来てくれ、その時のみそ汁の味噌を全員で作ろう」。
犬はえらい。私はこうして「犬はえらい」と書きながら、書くたびに今まで自分が歩んで来た六十年を越す歳月の中で出会った犬たちの、あの姿、この姿が次々と脳裏に浮かんできて、「犬はえらい、犬は本当にえらいなー、ありがとう、ごめんね、あの時まもってやれなくて、ゆるせ、でも忘れない、あの時のお前のこと忘れるもんか…」などと私の心は熱くなってしまうのです。
今回は犬と音楽が主なテーマですが、安曇野にある私の豊科シオン幼稚園で過ごした犬たちは、園児たちの歌声や、オルガン、そしてピアノ、時にはシンセサイザーの電子音も、さらには、私がマイクを握り歌う歌声も、ごく自然に受け入れていた。
人々の心を癒し、心に安らぎや、希望や勇気を与えるような、歌や音楽は、犬にも単なる「騒音」として伝わることはない。もちろん、人間と犬の聴覚には、固有の特徴や能力差もあるだろう。しかし、人間の心がこもった歌声や、ピアノなどが奏でる音楽の持つ調和の取れた音は、犬たちの心にも響き、よい表情を見せる。
もう一つ、犬たちが無断外出を繰り返した頃の「ジョンが逃げた」の歌を紹介したい。「♪ ① ジョーンが逃げた マークがにげた 解き放たれた 自由求めて たばこ屋さんの角曲がり 交差点を突っ切って ポストの前で マーキング ルルルルルルル ルンルンルン 一乗寺の角曲がり タコ公園を突っ切って さくら咲いてる小学校 一年坊主を 追いかける ルルルルルルル ルンルンルン 」
このように、犬と音楽は、私たちの幼稚園にあっては、深いつながりがあるのです。人間にも、犬にも心がある。音楽は、いのちの心から生まれるものです。人間の聴力と犬の聴力に違いはあっても、それを越えて、心が作り出す音楽は、犬にも「いのちの波長」として伝わると私は信じている。
最後に、あの賢かったラブラドール犬の「クロスの歌」を紹介して、この章節を終わりたい。「♪ ①クロスが走る ビュンビュン風の中 長い耳を パタパタなびかせて やさしい目をして クロスが走る ♪ ② クロスが吠える バウバウ青空に 長いしっぽの タクトを振りながら よろこび感謝して クロスが吠える ③ ♪ クロスが泳ぐ グングン川の中 長いくびを ググーンと伸ばして 青空見上げて クロスが泳ぐ ④ ♪ クロスが眠る グーグー樹の下で 黒い鼻をピクピク動かして イエスさまにまもられて ジョンと昼寝する」。
書店や図書館に入って、まず第一に私が行くコーナー。それは、子どもの絵本や、少年少女文庫の棚ですが、テーマが動物、犬関係のコーナーである。私が愛犬マークを事故で失い、悲しみの中にあった時、幼稚園の子どもたちが、何人も、折り紙の裏などに慰めの言葉を書いて、小さな手紙をくれた。
そのような再会の時を私は本気で夢見ている。だから、今でも毎日とは言わないが、こう祈っている。「天の父なる神様、ジョンやクロスやマークたち、そして、私と出会った黒うさぎや白うさぎ、多くの動物たち、どうか私が、この地上での生涯を終え、その世界へ行く日まで、清き川が流れる緑の草原に彼らを憩わせ、養って下さい。そして、この地上での私の数々の罪をお許し下さい…。この一言の願いと感謝を、私たちの主、イエスキリストの御名によって、祈ります。アーメン」と。一人の時、風呂場の浴槽などにつかりながら、私は祈っている。
私は自分の犬たちの死に際しては、園児たちや、家族と簡素な、しかし心を込めた葬式をして、手を合わせお祈りもしました。知り合いの何頭かの犬や猫の死に際しても、電話連絡があると、聖書を持って私は出かけた。そして、告別の祈りの時を持ちました。申し出があれば、これからも出かけ、聖書に基づいたなぐさめの言葉を語り、祈りの時を持ちたいと思っている。
五月の連休中に書店に行き、絵本のコーナーへ行って私の目に入ったのが「かわいそうなぞう」(金の星社)だった。人間の起こした戦争は上野動物園の動物たちも犠牲にした。餌や水さえも断たれた、その最後の象は鼻を上げてバンザイの芸をして、飼育係の人に餌を求めながら力尽き死んだ。この絵本は、何回読んでも胸が張り裂けそうになります…。
このディドの気持ちを代筆したのは、チャップマン ピンチャー氏(インドのアンバラで1914年に生まれ、ロンドン大学のキングズ カレッジで動物学、植物学を修了)である。この本の裏表紙にあるディドの写真とビンチャー氏の写真が実にいい。
ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏が五十代の時に東京女子大学で「信仰を持たない者の祈り」と題して一時間ほどの講演をしている。そこで彼は何度も繰り返し「魂の救い」という言葉を使って語っている。この大江氏が語る「魂の救い」とは、「人生とは何か」、「生きるとは何か」、「いのちとは何か」、そのような人間存在への問いの中で、揺れ動く「心の救い」のことであろうと思う。 この「魂の救い」と、大江氏が語ったものを、犬たちは持っているだろうか。私は犬だけに限らず、いのちある存在は全てに本能的に備わっていると思っている。何も人間だけが特別な「魂」を持った価値ある存在なのではない。全てのいのちが価値ある存在なのだと私は思う。サルトルや大江氏のような哲学的心の揺れは犬にだってある。
縁あって、私と共に、最近はややのんびりペースで日々を過ごしている。 朝、私が和室の戸を開けてリビングルームへ出ると、リーは食堂隅の居場所から、すでに私が寝床から起き上がったのを感知していて、リビングの中央に出て来て、パジャマ姿の私を、押し倒したりしないように気をつかいながら、ゆっくりと、前両足を伸ばして立ち上がる。そのリーの両前足の付け根の辺りを私は軽く両手で支えて、「おはよう」と声をかける。 リーは、私の胸に両前足を押し付けて、グーっと伸び(ストレッチ)をして、軽く遠慮がちにペロペロと私の手をなめる。
このリーと子どもたちと毎月二回、行く所がある。安曇野にある二箇所の大きな老人福祉施設である。ハスキー犬のジョンを連れて行った時は、高齢者のみなさんを、その狼の風貌で驚かせ、また喜ばせもしたのですが、途中から姿を消してしまい、施設の台所に侵入して、迷惑をかけてしまったが、ラブラドール犬のクロスやリーは、そんなことはなかった。 安曇野のような地方においても、アニマルセラピーの持つ意味が理解され、犬と子どもたちと、私が一緒に行けるところは、こうした福祉施設、そして安曇野日赤病院や各公共施設へと、広がりつつある。犬と子どもたちが一緒に、安心して行ける所。理解し、受け入れててもらえる所を増やすこと。そのような人間社会の実現は、とても大切な課題の一つだと私は考えている。
私は安曇野にある幼稚園で、幼子たちと一緒に生活して二十六年になる。三歳から五歳、六歳になる幼子たちと、安曇野の四季折々の自然の中へ飛び出して、多くの幼子たちと、感動の日々を過ごして来た。もちろん、犬たちも一緒であった。そんな中で感じた私と幼子や犬たちとの関係は、人間と自然との関係にも似て、言葉よりも、心に響いてくる、もっと確かな、いのちの波長の共鳴のようなものである。
そんな物づくりの最先端を走ったSONY(ソニー)の創設者井深大氏が、もうだいぶ前になるが、「物から、心の育つ時代へ」と題して、朝日新聞の「こころ」のページに、自分が本気で求めていることとして、幼児教育について記している。(朝日新聞「こころ」のページ編「自分と出会う75章」)。
NHKテレビの、プロフェッショナル・仕事の流儀「育てるためには、ほめ続けろ・盲導犬訓練士・多和田悟」で、紹介された訓練士多和田氏と教育(訓練)を受ける犬たちの姿である。映画やドラマ化もされた盲導犬・クイールを始め、これまでに200頭以上の盲導犬を育ててきた多和田悟氏。 国際盲導犬連盟が認めた世界で数えるほどしかいない査察員の一人です。(
安曇野の自然の中で、私と幼子たちが日々出会う様々な感動。共に生きる喜び。そして、そこに、いのち輝かせ、私たちの人生を豊かにしてくれる犬たちがいる。ここが、一人の牧師として、幼児教育者として、ぶれまくりながらも、絶えず、私が帰るところです。私は、心から思う。幼子たちはえらい。そして犬たちは実にえらいと。

そこで私が思いついたのは、こうして私の周りから犬が全て消えた、この夏は、犬たちがいない時だからこそ、今までには出来なかったことにチャレンジしてみよう。それは、琵琶湖で貸しヨットを借りてただ遊びでヨット乗りを楽しむのではなく、あの「琵琶湖周航の歌」にあるように、あの思い出の琵琶湖を、どのくらいかかるかわからないが、ヨットで周航してみよう。私はそう思うと何だか、勇気が湧いてきた。
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